センチメンタル・シティ・ロマンス・中野督夫
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中野督夫プロフィール 1970年代
c0125771_19561265.jpg1971年
愛知学院高校(現愛知高校)在学中の中野督夫が、同級生の横井祐輔、伊藤大介と共にフォークトリオ「赤ずきんスプリングフィールド」を結成。「全日本アマチュア・フォーク・コンテスト」に出場し、最年少で名古屋代表に。約束されていた、PINK FLOYDが初来日を果たした伝説のフェスティバル「箱根アフロディーテ」に参加。その後オムニバス盤の「全日本アマチュア・フォーク・コンサート」をレコーディング。クレジット名は「赤ずきん」となっている。この時一緒にレコーディングを果たした中に、シモンズ、フーリッシュ・ブラザーフット(堀内孝雄在籍)、ジャッケルズばんばひろふみ、石岡達雄、山本博史)、高山ひろしらが含まれている。


c0125771_20113182.jpg1972年
松吉久雄、洪栄龍らによって結成された「乱魔堂」の強化ギタリストとして告井延隆が「乱魔堂」に参加。この頃、東海高校在学中の細井豊が、鶴舞の名古屋市公会堂で「赤ずきんスプリングフィールド」のライヴを初めて見ることになる。その後、「赤い鳥」が細井の地元、知多半島でライヴを行った時に2人は初対面を果たす。その直後、細井豊中野督夫、中野の同級生の田中毅らと共に「シアンクレール」(思案に暮れる)を結成。その頃中野は、名古屋で公演中の「黒テント」の幕間で弾き語りをしていた告井延隆を見ている。その時告井は「乱魔堂」から脱退したばかりだった。


c0125771_2024555.jpg1973年
3月、ついに「シアンクレール」の3人と告井延隆、それに当時「ホワイト・ハウス」でボーカルを勤めていた加藤文敏をベーシストとする「センチメンタル・シティ・ロマンス」が誕生する。名古屋を中心とした中京地区にてウェスト・コースト系の音楽を目指し活動。5月、「第3回春一番コンサート」でデヴューを飾る。この福岡風太主催で始まった「春一番コンサート」には、最後となる79年まで毎年出演することになる。(*79年のセンチ春一番映像)6月、中部地区アマチュアコンテストで優勝。9月には日本武道館で開かれた「Aロック・コンサート全国大会」に入賞。この頃多くのコンテストに出場。コンテスト荒らしをして必要とする楽器等を手に入れていた。第1回「キンキン&ムッシュのザ・チャレンジ!!」に出演。同年代のマネージャーである竹内正美、中野の兄である中野雅夫、ファンンクラブメンバーのロマンスガール、ロマンスボーイらと共に着実に活動を広げて行く。


c0125771_2032634.jpg1974年
九州、山陽、関西など西日本方面のコンサートに参加し。東京では池袋シアターグリーンでの「ホーボーズ・コンサート」へも出演し始めた。また6月には地元名古屋で初めてのリサイタルを開催。8月には郡山市で行われた「ワン・ステップ・フェスティバル」にも参加し、脚光を浴びる。更に、自主コンサートとも言うべき「センチメンタル・パーティー」を定期的に開催(77年まで続く)。10月、大阪で福岡風太主催の「六番町コンサート」に出演していた時、東京から見に来ていた当時CBSソニー洋楽ディレクターの堤光生と出会い、彼らのファーストアルバムのレコーディングの話しが持ち上がる。


c0125771_2043832.jpg1975年
8月にCBSソニーレコード洋楽部門より細野晴臣プロデュース(チーフオーディエンス)のもとファーストアルバム「センチメンタル・シティ・ロマンス」を発表。この直後、メンバーは名古屋市長よりロスアンジェルス市長へのメッセージを携えて渡米。帰国後、ドラムスが野口明彦(元シュガーベイブ)に変わっている。この年、全国主要都市コンサートツアーを行う。ニューミュージックマガジン9月号で、音楽評論家の小倉エージ氏がセンチのファーストアルバムを好評。しかし同紙11月号にて編集長の中村とうよう氏がアルバムを痛烈に批判。ここから本人達は蚊帳の外のまま、音楽評論家、音楽業界を二分する「センチメンタル・シティ・ロマンス論争」に巻き込まれる。この頃、VAN99ホールにてコンサートをしている。名古屋を中心に活動していたシンガーソングライターいとうたかおのシングル「ラブソング/こんなに不安なんだよ」のレコーディングに参加。 ソロの活動として、76年に発売された中川五郎25年目のおっぱい」から「27年目のおっぱい」のレコーディングに参加。


c0125771_2054098.jpg1976年
8月、三重県の合歓の里にて合宿レコーディングされた、セカンドアルバム「ホリディ」を発表。同月「第3回夕焼け祭り」に出演。この年、ベーシストとして「ウィンドウペイン」の久田潔が参加する。その後VANグンゼ講談社などのCMも手がける。いとうたかおアルバム「Booking Office」、中川五郎アルバム「また恋をしてしまったぼく」、加藤登紀子アルバム「回帰線」レコーディングに参加。Tom's Cabin麻田浩が仕掛人となり、「センチメンタル・パーティー」の打ち上げ会場にて、初来日中の Eric Andersenとセッションを果たす。この頃、牧村憲一が「アワ・ハウス」を設立。センチメンタル・シティ・ロマンスシュガーベイブのマネージメント兼、プロモーションを始める。ソロアーティストとして「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」の中の「フライングキッド」に上原裕寺尾次郎坂本龍一岡崎資夫吉田美奈子山下達郎と共に参加。大貫妙子アルバム「Grey Skies」の中の「愛は幻」のレコーディングに参加。山下達郎とツインギターを奏でる。浜田省吾が在籍した愛奴のアルバム「LOVE IN CITY」から「約束」の作詞を手がける。


c0125771_2063370.jpg1977年
春、CBSソニーを離れ、キティ・レコードへ移籍。12月にサード・アルバム「シティ・マジック」を発表。伊藤銀次ファーストアルバム「Deadly Drive」、加藤登紀子アルバム「さびた車輪」レコーディングに参加。ソロ活動として、金沢出身の女性トリオ、マザー・グースの「貿易風にさらされて」レコーディングに、林立夫細野晴臣坂本龍一鈴木茂浜口茂外也山下達郎と共に参加。その他に三上寛プロデュース、坂本龍一アレンジでレコーディングされた俳優集団「ピラニア軍団」による唯一のアルバム「ピラニア軍団」の中から「役者稼業」に参加。


c0125771_207848.jpg1978年
8月、名古屋森林公園での「センチメンタル・ファミリー・フェスティバル Vo.2」で、センチメンタル・シティ・ロマンス6年間のレコーディング及びステージ総決算とも言える「センチメンタル・ライヴ」を収録。向田邦子脚本のTBS系列テレビドラマ「家族熱」の音楽を担当。竹内まりやデビューアルバム「Beginning」、加藤登紀子アルバム「愛する人へ」レコーディング参加。


c0125771_2074985.jpg1979年
春、キティ・レコードよりコロムビア・レコードに移籍。角川映画「金田一耕助の冒険」サウンド・トラックを担当し、7月に発表。同時に前年録音したライヴアルバムも発表する。11月、地元名古屋のスタジオに於いてレコーディングされた、5枚目のオリジナルアルバム「歌さえあれば(We Like Music)」を発表。竹内まりやアルバム「University Street」、加藤登紀子アルバム「悲しみの集い」レコーディングに参加。

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by talk_oh | 2012-01-01 09:00 | プロフィール